2005年第12回ラオススタディツアーにて 『今 私は ハイテンションのさなか』
戸田喬大(2005年 受講生) まず、簡単に私の自己紹介をします。今年62歳で、この3月に35年間保健体育教員として勤めていた学校を定年退職しました。この期間、悔いのない人生を送ったと言いたいところですが、欲深い私には、まだまだやりたい事があります。 その内の一つが、日本語教師になることです。その理由には、二つあります。 一つは、私が退職した学校の教員になる前、青年海外協力隊隊員としてラオスでスポーツ指導をしていました。その関係で1980年にインドシナ三国から大量の難民が発生し、広島にも難民が定住しました。私がラオス体験者ということで、ラオス難民と、続いてベトナム・カンボジア難民との交流と支援活動を始めました。その後25年間彼ら難民定住者と付き合っていながら、私自身が充分な日本語指導を彼らにできなかったという反省からです。 二つは、ラオスでは1975年革命により社会主義政権となり、以前のように自由に訪問する事ができませんでした。丁度1994年広島アジア大会で、ラオス選手団を招こうという運動を始めたころから、ラオス訪問が許可されるようになりました。このアジア大会でラオス選手の招聘後、毎年スタディツアーなどでラオスを訪問しています。ラオスという国は、行けば行く程、はまってしまう不思議な国なのです。この魅力ある国で日本語教師として、ボランティア活動をしたいという夢があります。 日本語教師になりたいという気持ちは、充分持っているつもりですが、何せ、体育ばっかりやっていた私としては、頭の働きが鈍っていて授業にうまくついていけないということです。講座の先生やクラスの皆さんに迷惑をかけているのではないかと思うぐらい、とんちんかんな質問ばかりしています。(クラスの皆さんごめんなさい・・) 中学や高校時代の国語のことを思い出そうとしても、すっかり忘れているし、次々に出てくる新しいカタカナ用語に戸惑い、なかなか覚えられません。テストを受けるときや課題レポート作成などは、脇から冷や汗が出てきます。 しかし今年の4月から始まったYMCAの日本語教師養成講座では、日々新鮮な気持ちで授業を受けています。今まで教師という立場から、逆に生徒という立場になり、いかに自分の授業が下手だったものかと反省することしきりです。今は、クラスの仲間から『戸田さん』と呼ばれるだけでも嬉しいです。 また、90〜100分間という授業を当たり前のこととして、熱心に授業をされる先生方に会え、驚きとともに感心しています。(今まで50分間の授業ですら、生徒達が寝ないように、私語をしないように、内職をしないように、授業に興味を持たせるようにと四苦八苦していた私としては・・) 先生方の年齢差や男女差に関係なく、どの先生にも私にはないパワーをお持ちです。実は、自慢ではないのですが、私の特技は、つまらない授業や会議中はすぐ寝てしまうということです(ごめんなさい)。この私がなんと今までの授業で一度だって眠くなった事や、寝た事がないのです。自分ながら不思議に思っています。それだけ、どの講座も素晴らしい授業であるということです。 私がラオスで役立つことは、日本語教師になり日本語をボランティアで教えるということと思い、今この夢に向かってハイテンションで頑張っています。
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『今の心境』 木村香織(2005年4月生) 日本語教師養成講座に通い始めて、1年5ヶ月が過ぎようとしています。 人生旅のたった2年の途中下車だと思って、日本語の勉強を始めました。社会人の教室は初めてでしたが、予想以上に刺激的で面白いです。講座を始める前よりも、物事を前向きに考えられるようになった気がします。元気も沢山もらいました。年齢や経歴が幅広いだけに、同じ教室の学生の方々から教えられることも沢山あります。日本語教育を学びにいっているはずなのに、自分を振り返る機会や、新しい分野を開拓するきっかけを沢山与えていただいています。 自分に足りないものが多すぎて、凹むこともありますが、くじけずにいろいろなことを同級生?や先生方から吸収していこうと思います。この講座での出会いや学んだことは、これからの人生旅の宝です。 このご縁が、卒業と同時に終りませぬよう、切に願っております。 合掌
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