今回の異文化紹介は、ベトナムからの留学生が東京で行われたスピーチ大会に参加したときの内容を掲載しました。スピーチ大会では、残念ながら入賞することはできませんでしたが、母国のことを一生懸命に話してくれました。

                               
      子供の心に暖かなあかりを・・・            
                    BUI THI THU HA  
                               
   

皆さんの夢は何ですか?皆さんは政治家とかビジネスマンとか、どんな人になりたいと思いますか。私の小さなふるさと、ベトナムでは今数万人の子供は同じ夢を持っています。普通の人になって、毎日友だちと一緒に学校へ行ったり、遊んだりしたいという夢です。それはオレンジ爆弾と呼ばれるダイオキシンを含んだ爆弾に被曝した子供たちの夢です。

 
               
   

戦争が終わってから、 30 年経ちましたが、その影響はいつまでもなくなりません。戦争によって、両親を無くし、子供の笑い声を無くした家族は一番不幸だと思います。でも、たとえ子供がいても不幸な状況に堪えている家族もいます。どうしてでしょうか?ダイオキシンを浴びてしまった親から生まれたのは普通ではない子供たちなのです。足がなかったり、手がなかったり、顔形もはっきりしない子供もいます。全身に腫れ物ができて、激痛に我慢できない子供もいます。また、ある子供たちは大人になっても脳の働きは子供のようです。両親がどうやって寝かせたらいいか分からない子供もいます。そんな子供たちは、食べるのはもっと大変です。

 
               
 
 

アメリカは 1961 年から 71 年まで 20 種類、 7600 万リットルの科学毒薬をベトナムに投下しました。その中には 300kg のダイオキシンが含まれていました。爆撃の後は、草すら生えませんでした。南部の森は 20% ぐらい死んでしまいました。被曝した人はアメリカ人兵士などを合わせて、 300 万人に上りました。まだベトナムでは 100 万人の人たちが毒薬の影響で苦しんでいます。そして、そのうちの 15 万人は戦争の後で生まれた子供たちなのです

                   
 

私は広島の平和公園へ行ったことがあります。広島の人が原子爆弾に堪えている姿に感動しました。広い面積を破壊され、死んだ人も数多くいました。それに、放射能を浴びた土がいつ元に戻るのか分かりませんでした。原爆から 60 年経った今発展した広島に本当に感服しています。多くのベトナムの子供たちのことを考えると、平和な時代に生まれたのに、戦争の影響がまだ続いているのは、本当に心が痛くて堪りません。国のために私ができることは何でしょうか。

               
     

ある日本人写真家中村悟郎さんがベトナムのダイオキシンの影響を伝える写真を撮り続け、 1995 年に「ベトナム、戦場の枯葉剤」という名前の写真集を出版したのを知りました。去年の 11 月には、アメリカで展示会をして、戦後のベトナムの姿を知らせました。そのことについてベトナム人として、本当に感謝しています。

       
   

ダイオキシンの被害にあった子供たちの「普通になりたい」という夢は決して実現されません。しかし、今、ベトナム人や外国人の寄付おかげで、子供たちのために学校、病院、公園が建てられています。それと共に、数千の若者がボランテイアとして、子供たちに教えています。私は帰国したら、そんな活動に参加したいと思います。

     
 
                 
 
歴史を変えることはできませんが、そんな子供たちがいることをみんなが知ってくれたら、そして、そんな命に少し関心を持ってくれたら、それだけで子供たちの心を暖められるのではないかと思います。
   
                               
                写真提供:サイモン・キャパー氏