庄原国際交流協会 口和日本語教室 

新宅道和

 

 

 

  日本語教室にかかわって10年が過ぎた。ことの起こりは英会話の先生が言った「英語を教えるためだけじゃなく,日本語も勉強するために来た」とのひとことである。

  それから半年細々と続けて大きな転機がやってきた。しょうばら国際交流協会が日本語教室を始める旨をその機関紙に書いたのである。正直なところ , われわれが既にやっているのに、別につくるとはけしからんと思い話し合いを持つこととなった。ところが協会側は計画したものの指導者がおらず、また私たちも ALT (当時は AET といっていた)だけで、人数も少なく壁にぶつかっていた。それから話はとんとん拍子に進み、地域にすむフィリピン出身のお母さんたちと英語の先生たちが生徒という日本語教室が誕生した。聞くところによると、彼女たちが保育所の先生を通じて協会へ日本語教室の開設を依頼していたとのことであった。

 

 

 

 

 

 

 
 
 

 

  当時既に日系人労働者の数はピークに達し , 三次市ではなんと人口の1%が日系人という状態になっていた。 また、過疎で貴重となった若年労働力を補う形で中国から青年たちが来日しはじめていた。

  そんな中悲しい事件がおきてしまった。一人の中国人研修生が小学生と女性を殺傷し、自害して果てたのである。この事件は全国版のニュースでも伝えられ , 大きなセンセーションを巻き起こした。事件後の関連記事で日本語教室のことも取り上げられたが , これがもし日本語教室がなかったとしたら記事の内容も行政に対する鋭い批判になっていたのではあるまいか。ただ , 「この(日本語教室の)クリスマスパーティーのことが自殺した犯人に届いていたら云々」と結んであった。

  事件後 , 地域に中国人排斥運動が起きるのではないかと危惧したが , 自殺した犯人に対する同情もあってか、少なくともそれは見える形としては起こらなかった。

 

 

  庄原市には広島県立大学があり , 中国からの留学生や研究員が多く在籍する。仕事を持った ALT やお母さんたちはなかなか定期的に教室に顔を出すことが難しいが , 流石に彼らは学業を本分とするぶん真面目に出席した。(もちろん例外もあるが)これまで何人はこうとかいうステレオタイプ的な見方をしていたが、出身地・国籍・民族よりもやはり個人ごとの生い立ちや学習歴、現在おかれている状況が学習に大きく影響するのだと思いはじめている。

  庄原市内には4ヶ所で日本語教室が行われている。国際交流協会、公民館、教育委員会が主催しており、それぞれ若干の違いはあるものの、いずれも地域に住む生活者が生徒である。そういった意味では共生型社会を目指す形が整っている。

 

 
 

 

  しかし、日本語教室に通うのは地域に住む外国出身者のほんのひと握りである。現在県北では日本人の配偶者である中国、フィリピン、インドネシアなどのアジア諸国の出身者や、中国、インドネシアからの「研修生」が増えてきているようである。彼らは社会の中で方言が主体の実用的な日本語を身につけている。(沢庵は知らないがコウコウは知っているという生徒もいた)更に学ぶということをどれだけ求めているかは分からないが、学ぼうと思ったときいつでも対応可能な状況が必要である。

  わが「口和日本語教室」は中国人留学生が卒業しお母さんたちも就職する人が増え、最近開店休業の日が時々あるが、いつでも対応できるようドアを開いて待っている今日この頃である。